たまにライトノベル

ライトノベルの青春ラブコメを楽しめるのは何歳までか?

半分自分語りです。

 

高校生の『今』を捉えた作品を完璧に楽しめるのは何歳までなんでしょうか。年を取っていくたびに、分からないことが増えていって、共感ってやつが出来なくなっていったりするのは悲しいと思うんです。

 

漠然とそういう考えは心の奥にあったんですけど、youtubeで音楽を聴いていたときに表面化しました。その時見ていた動画のコメント欄で、「TikTokの曲だって思われるのが嫌」みたいなコメントがあったんですね。それを見た時に、何の共感も嫌悪も湧かなかった。それで、もう完全に自分が『今』にいないことに気が付いた。

 

理屈ではわかるんですよ。自分たちの土俵の物を外の世界に住んでいる人間に取られたって感情自体は分かりますし、多分どの年代でもそういう事ってあると思うんですよ

でもそれが、ちょっと自分の世代から外れて語られると一気に共感ってやつがしづらくなる事を実感できた。ようやく。

 

最近のラノベのラブコメは『今』を捉えようとしている作品がそれなりに多いじゃないですか。ぼくはそれが悪いことだとは思ってないし、嫌いではない。でもそれってまだギリギリの範囲で共感出来て楽しめてるからなのかなとは感じている。

もちろん、作者の技量もありますよ。それに人間の本質はそんな簡単に変わるものじゃないから、どの年代の人間が読んでも楽しめる永遠の青春小説は存在しているとも思います。

サリンジャーが書いた『ライ麦畑でつかまえて』なんかは、世代も国境も超えて通じる青春小説だと考えていますし。

 

でも、それって本当に百パーセントで楽しめてるのかっていう疑問は残る。やっぱり世代も国も一緒のほうが楽しめるんじゃないのか?国が一緒でも世代が違うだけで共感できなくなる人がいるんだし。

 

 

ぼくは、『今』の青春ラブコメに付いて行けてると思っていますが、一つだけ、全く分からないのがあった。それが講談社ラノベ文庫からでている『→ぱすてるぴんく。』です

ぼくが触れた作品で唯一分からなかった作品です。多分ラノベの中ではこれが一番最先端だと思っています。今のところは。

この作品で初めて、下の世代を実感したんですけど、正直ちょっと怖かったです。面白いには面白いですよ。すごく新鮮だったし、めちゃくちゃ好きな作品ですよ。ただ、それと同時にこの先ついて行けるのか?そもそも百パーセントで楽しめたのか?なんて不安は抱くようになった

 

まぁ、この先ライトノベルのラブコメの流れが変わっていくことだってあるし、そもそも、今のラブコメの流れがいつまで続くのかも分からないんだから、アレですけどね。

 

でも、本当に怖いのは、『今』が分からくなってしまったら、自分が悪いのか、作者の技量が足りてないのかの判断が付かないことですよ。

ぼくは、まだそれに向き合っていないけど、もう、それと向き合う時がすぐ近くまで来てるのかなとは思ってます。

そうなった時に青春ラブコメとどう向き合っていくのが正しいのかはまだ分からない。

 

まぁでも、『今』を生きていたら、ある程度は正しく、その作品が『今』を捉えられているのかが分かるけれど、だからこそ『今』を生きているからといって『今』を書いてる作品を楽しめるかは分からないんですよね。

『今』をある程度正しく書けてなかったら、逆に気になって楽しめないこともあるから。逆に知らないからこそ楽しめるってこともあるだろうし。

 

だから結局『今』を生きていようと、『今』を生きてなかろうと、『今』を描いてる青春ラブコメを楽しめるかは作者の技量と読者次第なんだろうね。

 

『今』を生きてる人、生きていない人、互いにメリット/デメリットがあるけど

そんな中でぼくたち、青春ラブコメを楽しんでいきたいね。