たまにライトノベル

『ペルソナ3』過ぎ去った青き時代 散る櫻

京都の鴨川周辺でゆったりと休日を過ごしてみるのはいかがでしょうか? | caedeKyoto[カエデ京都] 紅葉と伝統美を引き継ぐバッグ

ソメイヨシノの大半はクローンであり、日本で咲いている多くの桜がソメイヨシノである。そしてそんな人工的に作られた桜を見て今年も桜が綺麗だと人は言う。

これほどまで人が偽物の美を崇めている瞬間は早々存在しないだろう。

前提として人は偽物と本物の美を見分けらず、見分けたうえで偽物の美を肯定することが往々にしてある事を""僕たち""は知っているはずだ。

 

このペルソナシリーズと呼ばれるゲームは基本的に学園ジュブナイルである(3,4,5,)そんでペルソナの一番面白い所は学園ジュブナイルを上手く使った青春体験型のゲームであるところだと思ってたので3も非常に面白かった。特に今回はストーリーが想像以上に良かった(3はストーリーが良いってのは知ってた)

 

面白い話ほど読み進めたい。

けれど、読み進むのが怖い。

読み終わると、また『僕』に戻ってきてしまうだろう?

逃げられない『僕』に...

優しくて幸せで、ありきたりで、希望にあふれた...

そんな話が読みたいな...

そうしたら僕は、『僕』に戻ってきても悲しくならないような気がするから...

人は『私』から逃げられない。物語にどれだけ触れようが、それらは偽物であり『私』は『私』に戻ってきてしまう。そんな行為に意味なんてないだろう。

 

僕が生きた意味っていうのは...

僕が考えることじゃない。

誰かにとって、何かの意味があるかってことだ。

つまり僕は...僕も君も、誰もが...

『生まれた』ってことが、生きた意味なんだ。

それでも、神木コミュでは答えが示される。でもだったら、『ペルソナ3』という青春体験型ゲームの意味はどこに存在しているのか。偽物の青春の価値はどこに存在しているのか。自己啓発以外に(それが悪いことではないんだが......)

 

そこで出てくるのがアイギスだ。

...わたしに命じられた目的が、今、わかりました...

わたしは...『生きろ』と命じられた機械。

命じたのは...わたし自身。

怖くても『生きて』みよう...

わたしは、わたしと約束したから...

 

アイギスは機械だ。もちろん機械は人の為に作られたモノであり人ではない。ソメイヨシノが作られた自然であるように。そんなアイギスが自由意思を示して自分の過ごしてきた日々が輝いていたことに後になってから気づく。

これはプレイヤーとのリンクでもあるように思っていて、というのもペルソナ3自体が中盤あたりから話が重くなってテーマもジュブナイルから離れてくるからである。

 

プレイヤーにとってキャラクターは人間ではない。それは偽物であり、人の為に作られたフィクションでしかない。だがソメイヨシノを見て人が美しいと思うように、偽物の青春を美しいと思うのがそんなにおかしいことだろうか?

機械に心があるなら身体が機械でも、人を愛するように人は物を愛することが出来るだろう。たとえ、それが偽物と呼ばれるものだとしても

 

生きる事は『人との繋がり』なのに、命は有限で、別れを避けられない。

悲しいけれど、わたしと理さんにも、

いつかそれは訪れる...

全てのものは、消えて、生まれて、

常に移り変わってゆく...

有限で、はかないもの。

だヵらこそ、大事でいとおしくて、

無駄にできないって思える...

ペルソナ3ではアイギスだけが死なない存在として主人公を看取るが、機械もいずれは機能を停止する。未来に永遠はないが過去はどうなのだろう。きっと主観による変化はあるだろう。それでもアイギスは"あなた"を守ると最後まで言い続けた。

終わってしまうから......有限で主観だからこそ、過去を永遠にさせようとすることが僕たちには出来るのだ。

 

時は、待たない。

だけど今年も桜が咲く。そのたびに、思い出すだろう

過ぎ去った青き時代の美しさを

 

そしてその青は月日に色あせても変わらず青いはずだ