「貧乏な国が飛行機を持ちたがる。それで俺たちは飛行機を作れる。矛盾だ。明日、東京へ行ってくる。嫁をもらうんだ」
「嫁?」
「本腰を据えて仕事をするために所帯を持つ。これも矛盾だ」
今の悲しさを記録しておく。
『君たちはどう生きるか』のネタバレあります
君たちはどう生きるか、皆さんは見ましたか?僕は見ました。人生であまりジブリの作品見たことが無かったんですけど、この作品を見終わったときは怒りが湧いてきた。
それはこの作品から物語の諦念を見出したから。普通に見たらあの塔はジブリのメタファーでって、感じなんだろうが、僕には物語そのものに対する諦めに見えた。
最後に主人公が物語を取らずに現実を選択するのはタイトル通り選択肢を用意していて、好きに生きろよってことなんだろう。(メタファーを素直に受け取るなら息子を映画にかかわらせたことに対する後悔でもある)
ただ、眞人は宮崎駿自身でもあると思っていて、そうなった場合この作品のラストは物語に対する諦念に映るだろう。自分の力量不足でこれ以上は言葉にできないが、この作品から希望を見出すことは今後も無いと思う
それで、ここ数日ぐらい宮崎駿は昔は面白かったんじゃないか会を一人で開催してジブリの映画を見続けていた。
そうして出会ったのが『風立ちぬ』である。
主人公である堀越二郎は飛行機が好きで、飛行機の設計に携わる仕事に就くが、それは戦争の道具になり果てる(この時点で彼のエゴイズムが見受けられる)
親友の本庄が分かりやすいがこの作品の設計師は反戦思想に近いモノを持っていて、それでも飛行機を作っている。これもまたアンビバレントである。
宮崎駿自身が飛行機好きで左翼である事を考えるのは面白くないやり方だが、そう考えるとやっぱり分かりやすくはなるだろう。
ヒロインである里見菜穂子が最後に山に帰ってくシーン
「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」
ここで全てが氷解する。堀越二郎は自己中心的な人間であり、また、里見菜穂子も自己中心的な人間である。愛するがゆえに自分は仕事しながら嫁を自分の元に置いておく。愛するがゆえに美しいところだけ見てもらって病弱する所は夫に見せない
この関係性は一見すると美しくもありよく考えると醜くもある。それはエゴイズムだけで成り立っているからだ。
この様に美しいところだけを切り取った作品が『風立ちぬ』である。戦争の描写が殆ど無いのもそういう理由であると個人的に思っている。
宮崎駿はこの作品で美しいところしか見せたくなかったのだ
それは堀越二郎が作中で見ていた夢の世界であり、幻想の世界だ
だがそれを出来る唯一の表現がある
それはフィクションだ
実際のモデルが存在していながら都合のいい所だけ切り取るこの物語はノンフィクション風である完璧なファンタジーだ。
人は完璧なファンタジーを見たとき、偽りであると感じる。あまりにも綺麗すぎるモノには裏があると思ってしまうから
だから完全な美は虚構にしか存在しなく、そこには醜さが存在している。
虚構の美を描こうとしたら醜さも出てしまう
矛盾だよ、これも