たまにライトノベル

『妹さえいればいい。14』 ないものねだり

 

 

妹さえいればいい。14 (ガガガ文庫)

妹さえいればいい。14 (ガガガ文庫)

 


「アンチも編集者も俺以外の売れっ子も全員爆発しろ!」作家としてブレイクし、愛する人と結婚し、父親となっても、人は(特に作家は)そう簡単に聖人君子のように生まれ変わったりはしない。羽島伊月は今日も荒ぶりながら小説を書く。そんな彼を生温かく見つめる妹の千尋も、報われない片想いにいい加減疲れていて――。伊月、千尋、京、春斗、那由多、アシュリー、海津、蚕、刹那、撫子……時を経て大きく変わったり変わらなかったりする主人公達が、それぞれに掴む未来とは!? 青春ラブコメ群像劇の到達点、堂々完結!!

 

 

ネタバレあり

 

 

 

 

 

書かなくてもいいかなって思ったけど、やっぱりちょっとだけ書いとこうか。

 

 

シリーズ最終巻である14巻。良かったところは色々あるけどまず構成の美しさ。

羽島伊月が本田和子に宛てたラブレター、羽島伊月が可児那由他に宛てた挑戦状、平坂読が読者に宛てた挑戦状、

この流れがまず美しい。天丼的な流れだけど最後に作者が読者に宛てた作品が『妹さえいればいい。』になるのは美しさの極致。

羽島伊月のインタビューが感情的な所もすごく良い。この『妹さえいればいい。』という作品はバランス感覚が非常に優れてるのが特徴だけど、最後の伊月のインタビューは正直バランスがとても良いとは言えない。だが、だからこそ響くものがあった。

ライトノベルに対してリアルとリアリティに対して病的なまでにバランスをとってきた作品だからこそ、最後にその枷を外したのが効果的になっている。

平坂読が最初からこれを考えていたのかは分からないが感情の揺さぶり方として自分の中では一つの解答だと思ったぐらいには良かった。

 

だが、そこで終わらないのが『妹さえいればいい。

エピローグは気楽に読めるやつだろうと思ってたら大間違い。何ならエピローグが一番良かったまである。

本編の最後では「主人公になりたい」この思想を読者に押し付けている。悪く言えば。

この読者への挑戦状を書くにはバランス感覚はいらない。どんだけ配慮しようと刺さらないやつには刺さらないからだ。極端に言えば刺さり具合は0か100。

羽島伊月が本田和子に宛てたラブレター、羽島伊月が可児那由他に宛てた挑戦状、平坂読が読者に宛てた挑戦状、これらは全部たった一人に宛てて書いてる。

読者は一人ではないが、総体としてという事。何故ならこの物語は自分という一人の読者に宛てて書かれた物語だからだ。だからこの作品はミステリー的な意味合いではなく、正しく文字通りの意味で""読者への挑戦状""であると言えるんだと思う

だからこそ自分に宛てて書かれてと思えないならラストの伊月のインタビューは冷めた目で読んでしまう人はそれなりにいると思う。蚊帳の外にいる羽目になってしまうからだ。

だからこそバランスなんて気にしないで100刺すつもりで書くのは正しいと思っている

だけど平坂読はエピローグでバランスをとってきた。本編のラストではあんなにも感情的だったのにエピローグでは理性的だった。

主人公になるということ、これを羽島宙に否定させたのはバランス感覚が本当にただただ凄いなと、他の誰でもない羽島宙に即座に否定させてたのが良い。

そしてそれすらも最終的な総括として『ないものねだり』に着地させてるのは正直震えあがった。感情的な本編から理性的に自分の物語を生きるということを説いていたのがこの作品でもっとも印象的だったし、素晴らしいと思っています。

最後が一番いいってのは読んでて本当に気持ちがいいし、好きなんだよなぁ……

 

進み続けることでしか自分でいられないってのは呪いであり祝福だよなぁ。

今の自分のアイデンティティの否定はきついけど、その先にも『これさえあればいい』ってものは確かにあるから求め続けるしかできねぇんだろうなぁ。

自分の物語を一人称で見続けるためには