たまにライトノベル

『青春ブタ野郎』シリーズ  やさしさとやさしさの手をつないで

 

図書館にバニーガールは棲息していない。その常識を覆し、梓川咲太は野生のバニーガールに出会った。しかも彼女はただのバニーではない。咲太の高校の上級生にして、活動休止中の人気タレント桜島麻衣先輩だ。数日前から彼女の姿が周囲の人間に見えないという事象が起こり、図書館でその検証をしていたらしい。これはネットで噂の不思議現象“思春期症候群”と関係があるのか。原因を探る名目で麻衣とお近づきになった咲太は、謎の解決に乗り出す。しかし事態は思わぬ方向に進み―?空と海に囲まれた町で、僕と彼女の恋にまつわる物語が始まる。

 

青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ないまでのネタバレあり

 

ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青春ブタ野郎シリーズについての感想をちょっと

 

この青春ブタ野郎シリーズという作品は鴨志田一が書いたことに意味がある作品だと思う。本来、こういう作者と作品を結びつけるのはあまり良くないことではあるが、どうしてもそういう風に見てしまったのでそう書く。

 

シリーズの一巻にあたる青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ないでは匿名の悪意が描かれている。初めてこの話をを読んだときは、さくら荘のペットな彼女のアニメがインターネットで炎上した出来事をどうしても連想させた。ぼくは、原作を読んでるわけではないし、アニメも途中で見るのをやめてしまったが、それでも見ていて気持ちのいいものではなかった。原作者である鴨志田一はもっとそうだろう。

 

だからこそ、青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ないを読んだときは、正直スカッとしたし、鴨志田一には匿名の悪意を露悪的に書く権利すらあると思った。

 

でも、鴨志田一が描きたいのはそんなものではなかった。このシリーズの一番大事なところってのはやさしさ以外にはないだろう。

 

「わたしはね、咲太君。人生ってやさしくなるためにあるんだと思っています」

「......やさしく、なるため」

「やさしさにたどり着くために私は今日を生きています」

「......」

「昨日のわたしよりも、今日のわたしがちょっとだけやさしい人間であればいいなと思いながら生きています」

 

この作品はすごくメッセージ性の強い作品だが、複雑なものではなく、やさしさとやさしさの手をつないでという、青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ないの第四章のサブタイトルにすべてが詰まってると思う。

 

安倍公房か誰かが、一言で言い表せるような作品ならわざわざ小説にする必要がないみたいなことを言ってたが、そんなことはないよなと。。。

 

ちょっと話を変えるけど、この作品でかい伏線回収が非常に上手い作品だが、そんなに大きくない伏線回収、読者の感情の動かし方もめちゃめちゃ上手い。例として、青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない。

 

「あのね、咲太」

「なんですか?」

「たぶん、咲太が思っているより、私、咲太のこと好きよ」

 

この麻衣さんのセリフは夢見る少女の夢を見ないで効いてくるんですよ。

ここだけ切り取るとただの激萌えセリフだが、シスコンアイドルの段階では麻衣さんがどれだけ咲太のことを好きか正直分かんない。だからこそ激もえセリフでもあるんだが咲太が思ってる以上に、読者が思ってる以上に、麻衣さんが咲太のことを好きだってのが夢見る少女の夢を見ないで描かれてる。

 

麻衣さんが咲太を連れて電車で遠くに行こうとするシーン、麻衣さんの普段とは全然違う、取り乱し方が、読者のこころを揺さぶる。さらにシスコンアイドルでのセリフが真実だったことをここで知るんですよ。だからこそ「ずっと一緒にいて......」なんて、言ってしまえば何のひねりもないセリフに心揺さぶられる。キャラのギャップの使い方がうまいんだよなぁ。

 

この作品キャラのギャップだけじゃなくて話のギャップの扱い方もすごいんですよね。

青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ないから一気に重い話になるが、なんでこんな急に重い話にしたのか意味が分からない、とはならないんですよ。

だって伏線が張ってあるから。完全に逆算されて作られてる物語だからこそ、読者は受け入れるしかない。何でいきなり交通事故なんだよ。何でいきなり病気なんだよ。ってのは通用しない。受け入れざる負えない。さらに重い話だって知らなかった人間は身構えることすらできない。ほとんど防御力ゼロで生死の物語を直視しなければならない。

そうはいっても翔子ちゃんやかえでに対しては大体の読者はある程度覚悟はしてたとは思う。だけどまさか咲太や麻衣さんにとは夢にも思わなかっただろう。かえでの話も不登校云々だけではなく生死まで突きつけられるとは思えないだろう。

それでもこの作品がそんなに巻数を重ねてなければ阿保みたいに感情を揺さぶられることはなかったと思う。実際のところは四巻のタメがあって嫌がらせのようにキャラが立ってるからこそ、この作品における生死は重い。

何が憎いって鴨志田一は間違いなく分かっててやってることなんですよ。

鴨志田一は感情を揺さぶる天才だよ

 

さらに言うと夢見る少女の前におるすばん妹ってのも間違いなくねらってる

何を狙ってるってメタ的な見方をさせないんですよね。どうせ死なないんでしょってのを考えさせたくなかったんだろうな。夢見る少女を読んでいるときにメタ的な見方をしようとしても、かえでがそれを許さない。どうしてもかえでのことがあるから、メタが許されない。まぁ麻衣さんは咲太の思春期症候群で助かるだろうなってのは割とすぐ考え付いたけど、翔子ちゃんがどうなるかは本当に全然分かんなかった。

 

 

話を戻してこの作品のテーマだけど、最終的に名前も知らない人間の善意によって収束される

夢見る少女の夢を見ないとハツコイ少女の夢を見ないでは一人の人間の限界を示される。人のやさしさってのは天井知らずではなく、限界があるものだ。だから夢見る少女の夢を見ないでは咲太は「僕は、......生きていたい」といった。そして麻衣さんを失って、やさしさの限界を知り、再び選択の場に立った時には麻衣さんを選んだ。

それでも諦めきれなくて咲太と麻衣さんのできる限界のやさしさと、名前も知らない誰かのやさしさで翔子ちゃんは生存する。翔子ちゃんが助かったのは、人間の善性、ほんのちょっとのやさしさが積み重なって、手をつないだ結果だと言えるだろう。

やさしさとやさしさの手がつながれた結果、人一人の命が救われることもある

 

初めてこの作品を読んでやさしさとやさしさの手をつないで、このサブタイの意味を理解したときは、ただただ感動した。本当に感動するいいお話し。この物語をあの炎上事件の後に書いたってところも含めていい話だと思う。鴨志田一があの事件を通して得た答えがこの物語だったらいいなって思う。もちろん作品単体だけで見ても最高に面白くて感動する話である。全人類に読んでほしい

 

 

最後に、おるすばん妹の夢を見ないでのライトノベルを使った叙述トリックはもっと評価されてもいいと思う。妹がお兄ちゃん大好きで、敬語でしゃべるってのをおかしく思えるオタクいるか?