たまにライトノベル

『MUSICUS!』 僕たちが音楽をやる理由

ネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀬戸口廉也の新作。雑に感想。

 

僕はこの作品を途中まで花井是清と対馬馨の物語であり、音楽の神様の存在証明の話だと思っていた。というのもswan songに出てくる尼子司と佐々木柚香の構図に似ていたから。無自覚に絶望していた佐々木柚香と希望を信じていた尼子司。この構図はmusicusに当てはめると、音楽の神様の不在に絶望していた花井是清とそれを打破しようともがく対馬馨という事になり、そういうストーリーになるのではないのかと予想していた。

やり終わってみて実際に当たっていたかと言うと、当たってもいたし、外れてもいたと言えるんじゃないかなと思う。当たっていたと言えるのは、実際にそう言う話でもあったからで、外れていたと言えるのは、そこだけに注視した物語ではなかったからだ(個人の主張)じゃあ何故音楽の神様の存在証明の話に注視してるように見えたかってのは、swan songの件も勿論あるんだが、それはあくまで僕がそこに関連性を見出しただけで、普通に考えたら花井是清の存在感の強さだろう。結局この作品において花井是清って人間は大きすぎたんだと思う。やってるプレイヤーからしてもそうだろうし、なにより作中のキャラクター達にとっても。だから僕たちは呪いとまやかしとそして祝福を掛けられた。

 

じゃあ何がこの作品にとっての主題だったのかって言われると、僕は音楽家達の物語だったんだと思う。このmusicus!と言うタイトルはラテン語で音楽家達との意味らしく、実際にこの作品ではいろんな音楽家が出てくる。ロックンローラーに憧れて、音楽をやっているけど、どのルートでも途中で満たされちゃう奴。楽しさだけを追い求めて、それ以外のことを考えず、ただ音楽やっていきたい奴。音楽に救われたから、世界のルールは変えられなくても、今度は自分が救う側になろうとして音楽をやっている奴。

最愛の人を思い浮かべて、その人のためだけに音楽をやっている奴。何かを届けたいとか、一人のためにとか、音楽をやる理由が変わっていきながらも音楽をやっている奴。

自分が何を求めているのか、それを知りたくて音楽をやっている奴。そして音楽の神様を証明したくて、音楽をやっていた奴。

音楽をやる理由はひとそれぞれで、その中で花井是清だけが特別なのか?神様の証明なんてものが他の何ものにも代え難い重要なことなのか?そんな訳がない。ないんだよ。

そして何よりも音楽をやっている人間だけが音楽家じゃないということだ

 

『音楽』をやっている人間は等しく音楽家である。

花井三日月は、事件の影響でptsdになり、歌うことができなくなった。じゃあ歌えなくなった花井三日月は音楽家ではないのか?花井三日月は、いや、この作品はそんなことはないと答える。

高橋風雅は人間に音楽を発見できたのは、心があるからだと言った。音を聞いて感情が変化したときに音楽が発生すると。だから『音楽』は音そのものじゃなくて心にあると。

だから心が動くところには全部『音楽』があると言う。美味しいものを食べた時や、小説で涙しても、好きな人とセックスをしても、そこには『音楽』が存在するのだと主張する。

そして歌えなくなった花井三日月は、人間というものは生まれながらに全て『音楽』なんだという。すっと生まれてそして儚く消える生命はまさに『音楽』そのもので、だからこんなにも私たちの胸から『音楽』があふれでてくる。と。

『音楽』をやっている人間が音楽家なら歌うことが出来なかった花井三日月もまた音楽家なのだ。

そして『音楽』を音楽だと定義すると、花井是清がまやかしだと言ってきた音楽の感動はまやかしではなくなる。何故なら音楽によって心を震わせることが出来たならそれは『音楽』による感動だからだ。

音楽による純粋な感動はないんだろう。それはこの作品でも最後まで肯定されない。だが『音楽』による感動ならば世界には確かに存在しているんだ。まやかしかもしれない。詭弁かもしれない。それでも『音楽』による感動は本物だ。

 

 

僕たちが『音楽』をやる理由

この作品では、対馬馨が音楽家であることをやめることはない。それはどのルートでもだ。badendは確かに悲惨で救いがないけれど、対馬馨があの状態でも音楽家であることの証明にもなっている。対馬馨という人物は作中でサイコパス扱いを受けたり、自分でも自分の感情が希薄だと思っている。だが、その要素が一番強いbadendですら対馬馨は『音楽』をやっている音楽家だった。早く人間になりたい妖怪人間の対馬馨はもうすでに人間だったんだ。その一点においてあのルートは救いなんだと思う。

『音楽』は人生をやめるか心が動かなくなる事がない限りやめることはできない。そしてどんな道を歩んでも、対馬馨は『音楽』をやめなかった。そんなものたまたまの産物でしかないのかもしれないし、いつかやめる時は絶対に来る。それでも対馬馨が、いや、僕たちが『音楽』をやめないのはそこに幸福も不幸も存在していることを知っているからだ。

音楽と『音楽』は僕たちにとって必要なもので、神様がいないことにおびえる必要はなかった。だから僕たちは終わってしまうその時までロックンローラーな音楽家でありつづければいい。

musicus!はそんな音楽家達の物語だ